中米カリブの女社長ブログThis is ベリーズ!”

ベリーズ政府観光局公認ガイド、ツアー会社社長 、日本食レストランの顧問、ジュエリー輸出、観光開発コンサルタントをしているソリス麻子のブログです。

March 2006

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blue hole
ベリーズで海の世界遺産に認定されているやつです。
今回、一緒に日本から来た同期隊員が先に帰ることになったため、
最後の国内旅行に行ってきました。

JICAには現職制度といって、会社や学校に籍を残したまま
協力隊活動をして、その現職復帰のために2年弱期間を短縮して
日本に帰れる制度が在るんですね。今回の同期2人も、4月からは
学校に音楽の先生として復帰するわけで、いやぁ1年8ヶ月、こんな
ところでいて、いきなり日本に帰ると浦島太郎みたいになってしまうんではないでしょうか。

emeraudo
さて、ブルーホールは、ベリーズシティから飛行機か、サンペドロという島から
船で行くのが普通ですが、それでも2時間かかるため、朝5時に出発。
薄暗い月明かりの中で、朝日を拝み、明るくなってきたと思えば、
360度どこを見回しても、エメラルドグリーン色の海。海。海。

それがブルーホールに着くと、水色から青に変わり、底がない地球にたどり着くんです。

地球って何からできているんでしたっけ?

海の中に10mくらい入っていくと、そこは珊瑚や美しい熱帯魚のサーフェス。
海の中に30mくらい入っていくと、白い鍾乳洞のつたが出てくる。
さらにさらに入っていくと、真っ暗な暗闇の地球の震源に近くなってくるんです。
音もなく、上も下も横も見えなくなって、視界もなくなりながら、
ここは精神世界・・・?

halfmoon caye
45mくらい入ったところで、ダイブマスターにぐいと腕をつかまれ、頭上に上がるサインが。このくらいの深さの中では、人間の体は8分が限界です。

ともすると、肺が破裂するかもしれないし、窒素酔いで頭がおかしくなるかも
しれないし、、、でも目の前に片腕位の深海魚がぼーっと現れ、私たちを導くように
追泳してくれました。

水面に出るまで、約30分。
途中、水の中でめまいを起こしたような、意識が飛ぶ瞬間があって、どきどきしながらも無事生還。

tori
そのあとに寄ったのは、ハーフムーンキーという野鳥の楽園。
毎日、魚取り放題なので、増えまくっているんですって。
それにあやかり、鳥の卵をえさに氾濫するイグアナ。
自然の生態系を目の当たりにしました。この鳥を食べる恐竜がいたら
生き残れるかも?

最後はドルフィン。

帰りのボートの途中で、ドルフィンの群れに会いました。
その数100匹以上?!とにかく数え切れない。
ボートの回りに追走するように、そして何度もジャンピングを見せてくれました。

ラッキーだったといえば、それまでですが、
まだまだ私たちの知っている地球は、ほんの一握りで、世界に出て行くたび
いろんな感動をもらいます。

こんな夢のような毎日ですが、私にも終わりが来ます。
空港で日本に帰る同期を見送りながら、自分の終わりが来る日を重ねて考えてしまいました。
私のベリーズ発は7月12日で、日本に7月14日帰国予定です。

dolphin

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18e836c6.jpgこれは去年、私が参加した激動のカヌーレースを、
今年はサポーターとして、日本人17名を応援した涙の裏日記です。

ラ・ルータマヤとは、ベリーズを横断する約350キロの川を、3人1組で
4日間キャンプをしながら、手漕ぎカヌーで下るレースです。

カヌーは、なるべく軽量にしなくてはならないため、その野宿ポイントから
ポイントまで、テントや荷物を運ぶのが主にサポーターの仕事で、
車を手配して、カヌーを追いかけながら応援、カヌーの引き上げや
テントの設置、撤収などを行います。

私たちJOCV(Japanese Overseas Coopration Volunteers)は、自分達で運転
することを許されていないので、例年、配属先の同僚に車をお願いするのだが、
今年は、職場で大変なことが起きていた。

それは、「選挙」である。

私の職場は現在のベリーズ首相が作ったことから、完全なPUP党である。
それが、今年大変な正念場を迎えていた。日本でいう、自民党が野党の社会党に
負けた、ようなものである。野党のUDPのオフィスは、うちの会社の隣に
あって、彼らは喜びいさんで大集会を始めたものだから、うちの会社は
その日は閉鎖せざるを得なくなった。

そして、私が面を食らったのは、車両がBreak Downしていたのである。
会社のトラックを1ヶ月以上前から予約して、1週間前にも確認して、
ダイレクターの2つ返事を信じ、ドライバーの信頼を信じ、やってきたけど
車はレースも3日前、2日前になっても直らない。

パドラーの荷物は20個以上、テントが10組。それに4日分の食料や何かで
普通の車じゃ、到底無理である。サポーターを快く引き受けた私だが、
このせいで、レースに出場できなくなったら大変な問題だ。

プレッシャーが莫大になりながら、パドラーに不安を与えてもいけないので
、可能性のすべてを考える。
結局、レース前日。考え抜いた末に、私がマラソン大会でお世話になっていた
BDF(Belize Defence Force)(ベリーズ軍隊)に応援を頼むことに。

こ、国家組織を使っていいのか・・・と思ったが、
ベリーズの国防長官立場であるコマンダーに快く協力指令をいただき、
ちょっと前置きが長くなりましたが、サポーターとしてのサバイバルが
始まったのです。

1日目(サンイグナシオ〜バナナバンク)49マイル

朝4:00ピックアップ、の予定が来ない。3:50からモーニングコールを
かけつづけたけど、ドライバーは出ない。彼は10回以上仕事をした中で、一度も
忘れたり、遅れたりしたことがない人だったけど、まさか・・・。

レーススタートは7:00。結局、5:45に外が明るくなると共に、
自転車を走らせ、ドライバーの家までたたき起こしに。
なんだか、代理のトラックを借りたけど、持ち主がやっぱり明日は使うから
貸せない、とかなったらしく、彼も選挙活動で衰退していている様子。
それでも、なんとか朝6時出発。

結局、スタートには間に合わなかったものの、現地で他のサポーターと
出会い、荷物をピックアップして、最初の応援地点へ。

bledge
−Black Manatee
サンイグナシオから15マイルほどの応援ポイントである。
橋の下を通るので、日本の国旗とベリーズの国旗を張って、チアリームと
スコートとボンボンを持って応援。BDFにまんまと発見される。

2日目(バナナバンク〜バミューダランディング)60マイル

朝6時。スポンサーのBig H というオレンジジュースカンパニーに荷物を
積んでもらい、BDFの軍隊のピックアップにとびのって、次の地点に移動。

−More Tomorrow
入場料$5を払うべきプライベートビーチの広がる川岸へ、またもや
国家権力を使って潜入。ナイスビーチだったが、途中雨が降り出し、かっぱを
屋根にしながら、選手を待つ。

yumiegao
そして、先回りをしてゴール地点に荷物を見に行き、ちょっとお昼休み。
ランチにヒキティーという川亀を食べた。
4日間のキャンプ生活、パンとクッキーだけかと思ってたので、
現地で様々な食べ物に出会えたのはちょっとラッキーだった。ちょっと
ビールで勢いもつけておく。

−Pauls Bank
ゴールからちょっと戻って、選手の一番疲れていそうなゴール2時間前地点へ。
この日は、朝6時から10時間以上も漕ぎ続ける長帳場の日なので2回目の応援。

3日目(バミューダランディング〜バーレルブーム)36マイル

sorara
今日は国家権力が朝から見張られている。私たちのために空いているトラックが一台迎えに来た。それに乗って、次の地点バーレルブームへ。

今日は、いつもより短いが、朝から閑々と日差しが照っている。
ゴール地点で次々と倒れる他のボートを見ながら、祈るように待つ。

4日目(バーレルブーム〜ベリーズシティ)25マイル

44
さぁ、ここまでくればもう大丈夫。7艘無事完漕できるかな・・・。

普段は川沿いに道がないので、応援できないが、今日は川からの
距離が近い。全力で叫んで応援すると、自分の声で頭がキンキンしてきた(笑)

ゴール地点のペリカンブリッジには、何百人もの人だかり。
車が中に入れないので、荷物を自分のアパートに降ろしに行って、その前の
公園で打ち上げをやることにして、橋の上でひたすら待つ。

1位、2位が着々とゴールするなか、JOCVは例年通り後ろの方をキープするはず、
と思いきや、1チームがなんと50位以内で来た。トータルでは、54位だそうだが、
彼は昨年の全カヌーの最下位だった人である。その悔しさを準備に変え、力に変え、
JOCVの記録で残した彼には脱帽した。

もう1人、このレース中、選手ではないが同じ位の日射を浴び、体力を使った人がいる。カメラマンである。
彼は、いち早く応援ポイントやゴール地点で、恰好のポイントで構えていた。
待っている間、チアガール隊は日陰で隠れていたが、彼は趣味に任せて、
川べりで遊ぶ子供たちや空を飛ぶヘリコプターを追いかけたりしていた。

彼を含めて、全日程をサポートしたのは計4名。少数だから動きやすいのも
あったけれど、この人数で17名をやったのだから、すごく選手の皆さんには
感謝された。

私が、「応援されるより、応援する方が楽しいし、うれしい。」と言ったら、
他の人が「でも、みんなのありがとうのうれしい気持ちを集めたら、
きっと応援している人の気持ちを超えるよ。」って、手を前に出して、
みんなが重ねてくれたのが、また大きな幸せな気持ちになった。

サポーターをする、っていうのも、またスポーツの新しい楽しみなんだな、と
生涯スポーツを考える上で、新しい発見になった。
ここに書いた応援ポイントの名前は、普段地図やレースの準備段階では
知ることができなかった名前なので、ぜひ来年のサポータの人の参考になれば、
と思う。

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