いよいよ新しい家も1部完成に近づいてきておりますが、
私がモデルにしている曲がりやの家、いったいおじいさんから前
どんな人が住んでいたんだろう、と家系図を調べてもらいました。

そしたら、私の父の父の父の父の父の父、江戸時代の終わりまで
遡ることができました。


画像1 家系図佐々木家
kakeizu


さらに、佐々木家のルーツまで調べてくれました。

【調査結果】
佐々木氏は近江国蒲生郡佐々木(滋賀県近江八幡市安土町)をルーツとする地名由
来の名字。近江国蒲生郡には元来、沙沙貴神社を氏神とする沙沙貴山君(ささきやまのき
み=平安時代まで近江に勢力を有した古代の豪族。

⇒えーっ、佐々木って元々、沙沙貴だったの?

画像2 沙沙貴神社(江戸時代中期の建築)
sasaki
 
『日本書紀』には「狭々城山君韓袋
宿裲」と記されている)がいたが、のち、宇多源氏の源成頼(みなもとのなりより=平安時
代中期の公家)(宇多天皇の玄孫)が近江国佐々木庄に赴任し、その孫である源経方が
佐々木姓を名乗ったという。百済系武家の姓で、軍事貴族として繁栄をした。

⇒源氏系だから、おばあちゃんも私も色恋ざたが多いのか?(笑)

地元近江八幡市安土町の話では、「神話によれば、少彦名神(すくなひこなのかみ)がササ
ゲの豆の鞘(さや)に乗って海を渡って来た伝説からササキ神社が始まった」とのこと。

⇒ササギ(北海道、東北では、さやいんげんまめのことをこう呼ぶ)のさやに乗って
海を渡ってきたのか!カリブ海まで来ちゃったよ。(笑)


近江国佐々木氏の家紋は隅立て四つ目で、沙沙貴神社の神紋は七つ割り平四つ目。
佐々木一族が繁栄したことにより目結の家紋も全国に拡散した。

画像3 家紋
kam

⇒わぁ、家紋ってこんなのなんだー。
海外の日本大使館では菊の紋章が入ってますが、どこかに刻もうかしら?

私は、一人っ子のうえ、ベリーズに移住してしまい、旧姓佐々木 麻子ですが、
時々日本で引き継がれない佐々木家の看板を申し訳なく思うことがあります。

でも佐々木って東北地方に多いイメージがあるんだけど、どうして?

治承 4 年(1180)に源頼朝が平家打倒の兵を挙げた時、佐々木秀義(ささきひでよし
=近江国蒲生郡佐々木庄を領有した平安末期の武将)の息子 5 人(定綱、経高、盛
綱、高綱、義清)が源頼朝の挙兵を助け、華々しい活躍をし、奥州藤原氏と戦ってい
る。尚、秀義の伯母は奥州藤原氏第三代頭首藤原秀衡に嫁いでいる。このように東北
の岩手、秋田地域に佐々木氏の活躍の痕跡が多く残され、一族の繁栄へとつながって
いる。

⇒へぇー、知らなかった。(調査結果はまだまだ続いている)以下略

口伝によれば、当家は天正年間(1573-1593)に豊臣秀吉傘下の武将・蒲生氏郷が九戸城
仕置き後に家臣を帰農させたことに始まると伝えられ、藩政期には下岩泉村の肝煎(村長)
を務めたという。

おじいさんから前は岩泉の村長さんだったんだって。岩泉と言えば、「死ぬまで生きる龍泉洞」が
有名だけど、だから私もベリーズの洞窟が好きなのかな。ブルーホールも元は洞窟だもんね。
次はベリーズで温泉発掘したい(笑)

画像4 龍泉洞
 ryusendo

今度、日本に帰国する時は、菩提寺を訪ねてみよう!
ご先祖様への感謝を込めて。私はどこにいても、ご先祖様からの力をもらっているような気がする。
気が付いたら、引き寄せられることが多くて、あとからそれで私が生かされていることを感じることがある。
子供たちにも、私のルーツを残して、子供や孫が命や先祖を大切にしていきますように。

家系図づくり、これはやってみる価値があると思います。
1872年(明治5年)に戸籍制度が始まり、現在の法律では150年経過した除籍簿は廃棄してよい。という法律があるそう。150年というと、2022年‼ つまりあと2年後には貴重な資料が大量に廃棄されていくということ。
なので、今、戸籍謄本を取り寄せることをお勧めします。
自分で作るのは、大変という方は、同意書にサインすれば代わりにやってくれる
サービスがあるので、是非利用してみてください。
https://www.misora.biz/
海外にいる方でも、日本に帰らないでできますよ。
海外在留邦人の人にぜひ子孫に日本のルーツを残すことをやってほしい。
自分が生きた証として。子供がいない人でも、ご先祖がどんなことをしていて
だから自分がどんなことが好きで、だから理由なしに私はこんなのが好きなんだ、とか
やって良かったと思うことにきっと出会えるはず。
両親のプレゼントにもいいかも!?

家完成前に先祖から基礎作りでした。